スペシャリストの過去を紐解く。キャリア編

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    今回はスペシャリストが自身の過去を振り返る記事の第二弾です。株式会社スタッフロールの代表であり、ビューズでキャリア系専門支援員をしている高瀬がどんな学生時代を経て、なぜキャリアの道を志したのか、そのきっかけ〜現在にかけてを話してもらいました。

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    モヤモヤしていた少年時代

    小中学生時代はありふれた普通の少年でした。友達付き合いも普通にありましたしね。自分で何かを考えることは好きだったので、そういう意味ではクリエイティブな思考を持っていたように思います。たとえばトランシーバー隠れんぼなど、遊び方の工夫を凝らして楽しみ方を最大化させるようなことを行なっていました。

    そんな一方で、自己表現や発信ができない子供でもありました。だからとにかく沸々としていたのを覚えています。

    家庭も貧しかったので、中学卒業後の進路は私立高校〜大学へ進学といったことも描けず、やむを得ずに地元福岡の工業高校へ行くしかないと思っていました。なんのためにここに来ているのかと、高校生活を楽しめていなかったし屈折はしつつも、発信や表現はできずに周りと合わせることしかできなかったので、当時の自分は今でもあまり好きではありません。

     

    就職。キャリアへの興味

    キャリアへ興味を持ったきっかけは3つあります。まず1つ目ですが、私が卒業したのは工業高校の電気科だったので、就職先も機械・電気系の企業になるのですが、はじめに就職した会社は地元福岡の会社で、エンジニアをお客様先に派遣する事業を行なう会社でした。

    研修という研修もなく入社早々に大手電機メーカーに行くことになり、東京へと発ちました。

    自社の同期はそれぞれのお客様先に行く形になるのでみんな散り散りに。だからお客様である大手電機メーカーの新入社員が私の同期的な感じになるのですが、そこで私はエンジニアとして同期の営業と組みながら仕事をするようになり、おもに公共の水道設備設計やプラント設備などの電気設計を行なっていました。

    私と組んだ同期の営業は六大学を出て新卒入社してきた“言わばエリート”なんですね。ほかの同期の人たちも六大学や国公立などを出た人たちしかいないような環境で、その人たちと同じ仕事をしていたわけですが、同じ環境で同じ仕事をしているのに給料は天と地の差があったので驚愕しましたね。(笑)

     

    そんなこんなが続くある日、私と組んでいた営業が職場で突然ぶちギレてしまったのです。

    日頃からかけられるプレッシャーなどでメンタルをやられてしまったようで、上司に対して暴言を吐いて暴れだしてしまいました。尋常ではない怒声が響いていたのでびっくりしたのですが、そんな問題を起こしてしまった彼は謹慎処分に。

     

    その後、相当こたえて反省モードになっていた彼を飲みに誘い、励ましの言葉をかけていたのですが、謹慎から復帰して少し経ったころにまたキレてしまって。どうやら解雇になってしまったようでいつの間にかいなくなってしまっていました。

    せっかくいい大学を出て一流企業に入社してきた人が、パーンと壊れて働けなくなってしまうのを目の当たりにした私は「…え?そんなことあるの…?」と、衝撃を受けました。それと同時に“もう少し彼に対して何かできることがあったのではないか”と、無力ながらに痛感していましたね。これが1つ目のきっかけです。

     

    福岡に戻って生き方の模索を

    新卒で入社した会社は21歳の途中で退職をしました。親の離婚もあったので一度福岡に帰ることにしたのですが、エンジニアの仕事に対して楽しさを感じれなかった私は、英語の勉強をして英語を仕事にしたいな、WEBデザインをやりたいな、旅行業界で働きたいなと、やりたいことが固まっていなかったので一旦派遣社員に登録して転々としました。

    派遣の仕事なので過去の経験から結局エンジニア関係の仕事になるのですが、その中でヘルプデスクの仕事をする機会

    があって、技術上のわからないことに回答したり、システム導入の支援などをしていたのですが、「あれ?コミュニケーションって面白いな」と思ったのです。これが2つ目のきっかけです。

    コミュニケーションは自分の持ち味と自覚していたし、それを通じて相手の困りごとを解決することが“面白い”と思えた瞬間でした。

     

    本格的に抱いたキャリアに対する興味

    20代後半のころの私は通信で大学を2つ出ているのですが、その時の2つ目が心理学部のキャリアコース。当時はビジネス本をたくさん読んでいて、その中にキャリアショックというタイトルの本があり、「(キャリアについて)こんな学問があるんだ」と知ってキャリアコースに進もうと思いました。これが3つ目のきっかけでしたね。

    いまから25年ほど前の話なのでキャリアコンサルタントという言葉もまだ知られていないし、国家資格になる前の話ですが「これを学ぼう」と思い、産業カウンセラーの資格も取得してキャリアに関する仕事をしたいなと思いました。

    なんとかなるだろうと行動するも

    東京へはとくに職を決めずに出てきました。エージェントを頼り「産業カウンセラーの仕事がしたいです」と伝えたわけですが、実績がないので当然仕事にはありつけません。それならば妥協をして「人事ではどうですか?」というも、落選。

    受けては落ちてを繰り返し、気がつけば貯金も底をついてきている状況に。これはまずい!と感じた私は、食いつなぐためにまたしても(大手)派遣会社に登録をしました。ともあれエンジニアの実績はあるので、食いっぱぐれる事態は避けられたわけです

     

    自分の人生を変えた出会い

    その派遣会社では派遣登録時にインタビューを受けるのですが、そこで自身のアピール内容を聞いた当時の支店長から「ウチで営業やらない?」とお誘いをいただくことに。

    でも正直いって迷いました。私には進みたい方向もあったし、前職で目にした経験から営業職にはネガティブなイメージを持っていたためです。だから断ることにしました。それでも支店長は定期的に目をかけてくれて「最近はどうだ?」「ぜひ一緒にやろう」と、1年ものあいだ口説き続けてきたんですね。(笑)

    とはいえ当時やっていた派遣の仕事もエンジニア職だったから、私としては楽しくなかったわけです。だから決意を固めて「一蓮托生です」と入社をしました。

     

    大手派遣会社の営業として奮闘する日々

    たしかに私には「これがやりたい」というものはありましたが、こうして熱心にお誘いしていただき、縁あって入社したからには“ここで成りあがってやれ”という気持ちで挑戦しました。ネガティブな印象を持っていたし「嫌だ」と思っていた営業の仕事は、実はただ苦手に思っていただけでやっていくうちに得意だったと知りました。さらに数字を追いかけるのが好きなんだということがわかったり、自分って負けず嫌いなんだなと実感できたり、今にも活きているさまざまな気づきが得られましたね。

     

    頑張っていた当時の感情

    当時は横浜支店にいたのですが、そこで“目の前の人の期待に応えるということ”を常に据えて取り組んでいました。誘い続けてくれた支店長の期待に応えよう。横浜支店のみんなの期待に応えよう。お客様の期待に、派遣社員の期待にしっかり応えていこうと一生懸命打ち込みましたよ。

    また、派遣会社はいろんな業界を知ることができるのでそれが面白かったです。多方面でたくさんコミュニケーションを取れるし、知らない世界が広がっていくことに私の好奇心は刺激されました。かつ、いろんな人たちの役に立つことができるのでモチベーションにもつながっていましたしね。

     

    大手派遣会社を去る決意

    そこから9年の経験を経て、最終的には支店長に昇格して名古屋支店に来ました。

    派遣社員からのスタートだったのでかれこれ9段階ぐらい昇格してきていた私は、プレイングマネージャーとして名古屋支店を見つつも、その役まわりや方向性についてふと思うこともあり、自身の動機が薄れてしまってきた感じがしました。それに支店長まで来ると、組織図的には支店長の上に部長や次長、役員がいるくらいで、それが見えたときに(40代、自分自身のキャリアを考えたらこのままでいいのかな。)と思ったのです。

     

    退職を決意してビューズの前身の会社へ

    退職の意思を決めてindeedを眺めていたところ、たまたま当社(スタッフロール)の前身の会社を見かけて“いいな”と思ってコンタクトを取りました。

    とはいえ支店長の立場にあるため支店の部下たちのことや後任のことなどどうするのよ?と、そう易々と転職できるわけもなく1年もの間やめられませんでしたけどね。そのあいだ再三にわたって引き止められたりもしながら、それでも私の気持ちは変わりません!ということで、その旨を会社に伝えました。私を引き入れた当時の支店長からも「俺に言うことはないのか?」って。その方にはとても感謝していますし私の人生を変えてくれたと思っているので、しっかりと退職の旨と謝罪をしました。その方とは、退職して年月が経った今でも2〜3年に1回は会いに行ったりしているなど良好な関係です。

    いざ転職。そして入社

    入社をして早々に、移ってきたことを後悔することになりました。というのも、とにかくごちゃごちゃで経営状況は深刻。ボロボロで消滅寸前の状態だったわけです。どうやら私がコンタクトを取ってから入社するまでの1年間で、次第に経営が悪化していたようでした。私にはその立て直しも含めて早く移ってきてもらいたかったみたいなのですが、入社する頃には悪化しすぎていて伝えることができずに黙っていたようなのです。一瞬にして思い描いていたものが総崩れしました。“転職でこけてしまった!”と。

    当時はまだ前職の派遣会社ともつながっていたから、本気で戻してもらおうかと考えたほどでしたよ。

     

    やるしかない。仲間と手を取り合って奮起

    心理士の高田さんとは入社日が同じで2015年5月4日入社でした。当時のメンバーは社長、私、高田さん、小幡さん、岡田さんの5名。でもやがて社長は飛びました。経営的な引き継ぎも一切なくね。でも会社の株は社長が持ったままでしたので、そのあとは法廷で泥沼の争いになったりと大変な時期もありました。詳しくは省略しますが、いま振り返ってみるといい人生経験をしたように思います。

    その後は残った仲間とともに”株式会社スタッフロールとして再始動”し、今日までやってきています。

    転職失敗をバネに変えて

    ビューズに来てから2025年で10年になりますが、自分の中では激動だったなと思いますね。でもビューズに来ている利用者様の人生を聞くと、もっと大変なことやいろいろなことを経験していたりするので、自分も当事者になり得るのだなと思いつつも、「もっと大変な人がいるのだからその人たちのためにも頑張らなきゃ!」と思ったのです。

    だから法廷での争い自体気にしている場合じゃないんですよ。目の前の人の期待に応えよう、いま目の前にある仕事を頑張ろうって理念を強く抱きながら一生懸命取り組んでいたので、とにかく面白くて没入しました。上層部の承諾がいらないってこんなにやりやすいのか、好きなことをやるってこんなに楽しいのか!と。

    自分を好きになれなかった10代の頃から、そんな自分を変えようと動いた過程にいろんな人の人生を見てきて思ったのです。キャリアというのはその人の人生に携われる、人生を変えられるところがある、だから面白くてやりがいがあるなと。本当に天職だと思っています。

     

    キャリア支援を目指す方に激励を

    激励とは少し違いますが、とにかく行動してくださいって伝えたいですね。“行動なしにキャリアは作れない”と思います。行動をするからいろんなことを見たり知れたりするのです。もちろんポジティブなことばかりではありませんし、ネガティブなこともたくさんあります。それでも行動を止めてはいけないし、行動した先からしか学べないのだと考えています。

     

    ジレンマや辛い部分とは

    支援をする中で(こうしたらいいのに)という気持ちが勝ってしまうと、それはエゴになってしまいます。その人の人生の主役はその人なので、“いまこの人にとってベストなことって何だろう”と、「その人なりの等身大」で考えてあげることが大切。とはいえ、頭ではわかっていても、実際に現場で実践できるかどうかはまた別で、そこにジレンマを感じる人も多くいると思いますが、支援というのは相手に合わせて見ていくことができてはじめてプロだと思います。

     

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    いかがでしたでしょうか。スタッフロールの代表であり、ビューズのキャリア系専門支援員である高瀬に、現在に至るまでの軌道を話してもらいました。紆余曲折しながらも、置かれた場所で懸命な努力を重ねた姿が想像できたはずです。今後、スペシャリストを目指す方にとっても刺激のある記事になったのではないでしょうか。

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